2006年5月3日水曜日

旅日記-長崎に行きたい15<長崎平和記念公園2>

2006年5月7日

登場する地:平和記念公園(長崎県)

旅ことば:悪因悪果(あくいんあっか)・・・悪い行為には必ず悪い結果や報いがあるということ。


長崎は広島と同様、原爆を落とされた都市だ。上空500mで炸裂した原子爆弾は、半径2km以上の範囲を焦土と化した。その落ちたところの周辺が平和記念公園になっている。長崎に来たからには日本人として寄らねばならない場所だ。

またその前にとなるが、この旅は手記による日記を元にしている。原爆については神経質にならざるを得ない内容になるが、当時感じたところの手記に近い内容で書きたいと思っている。そのため表現が不適切な部分があるかもしれないがご容赦願いたい。

原爆公園と名のついた公園が、まさに上空で原爆が炸裂したところだ。今はこざっぱりとした広場になっている。しかしその一角には焼け残った神社の石塔や天主堂の壁の一部、瓦や割れた茶碗が混じった地層などがあった。その瞬間の温度がこのような表現で今に伝えている。白に黒いまだらの猫がどこからか一匹出てきて、のんびりとあくびをしていた。むろん今は曇りがちな空からの薄日しか石塔らには注がれていない。




すぐ近くには原爆資料館がある。まずは追悼記念館に入る。ここは入場料はない。原爆で亡くなった人たちを偲んで建てられたものらしく、遺影や手記、平和へのメッセージなどを見てまわる。この建物は水を使ったモチーフで構成されていて、至る所に水が流れている。被爆した人々は水を求めて苦しんだ。口々に水をくれと言っていたという。たった一杯でも飲めたら、これほどおいしい水はなかったに違いない。ところで誰も通っていなかった所に水が滴ったような跡があった。ちょっと不思議に思ったが、きっと他の客か警備員の誰かが滴らせたのだろう。きっと•••。

外に出ると、朝からの曇り空が相変わらず続いていた。まるで被爆した人たちが水を求めて雨を待っているかのように。さっきの原爆公園が眼下に見える。資料館と記念館は公園よりちょっと上にあるためだ。僕は上空500m付近を見上げた。B29が飛んで来た。はるか上空で原子爆弾「ファットマン」を投下、黒い飛来物が落ちてきた。そして、炸裂。僕は一瞬で溶け、跡形もなくなった。痛いという暇もなかった。あぁ、きっとこんなふうに一瞬だった人たちはまだ幸せだったのではなかろうか。そんなことを思ったのは、その後に後遺症で苦しむ人たちが多かったし、今でもそうしたことが残っているからだ。だけど本当はこんなことを考えることさえいけないのかもしれない。



原爆資料館へと入ってみる。入場口では時計の振り子の音がずっと鳴ってる。原爆が落ちた午前11時2分を表しているらしい。受付のスタッフは慣れるまで大変じゃないだろうか。資料館ではいろいろと身に刺さる展示を見させられた。黒く炭化してしまった遺体の写真。焼け残った生活用品。それらには人間に灰をかけて無理やり火を消したような無理矢理さがあった。男の子が難しい説明を前にしてずっと見入っていた。おばあちゃんと思われる女性が言う。「小さなケンカからこんな殺し合いになったんだよ。だからケンカしちゃダメだよ。」なんて素晴らしい説明だろう。本当にその通りだ。

外は相変わらずの曇り空。平和記念公園に足を向けた。外人の姿も多くなっている。彼らはヒロシマ•ナガサキをどう思うのだろう。アメリカ人であれば誇らしい気持ちを抱くのだろうか。にっくき日本をやっつけたと•••。しかし実際には女性と子どもが多く亡くなった。そんなことは戦争中は考えていられないことかもしれないが、平和を取り戻した今こそ、大勢の人が死んだ事実をちゃんと受け止めてもらいたいと願う。今後同じ過ちを双方で繰り返さないように。

シンボルの像の変わったポーズには意味がある。天に向けた右手は原爆が落ちてきた空を指し、横に拡げた左手は平かなる平和を、被害にあった人々を助けるために動くことを表す左足、瞑想を表す右足。この像もそうだがたくさんのものが平和記念公園に寄贈されている。皆、平和を願っている。




その後、浦上天主堂に行ってみる。カトリックの教会で、マリア像が最も崇められている。ただ、僕にはキリストのことはよくわからない。修復•維持のための100円寄附箱があったので寄附した。

ルートの最後は被爆したクスノキと半分の鳥居。すごく大きなクスノキが2本あり、被爆していながら幹回り8mという大樹だ。よく生き残ったなあと思う。半分残った鳥居というには、その通り半分だけが吹き飛ばされた石造りの鳥居だ。民家のすぐ近くにあり、この近辺の人たちにとっては日常の風景となっているのだろう。


戦争も原爆も、次第に記憶が薄められていく。人間は忘れる生き物だ。だけど、忘れてはいけないこともやっぱりある。人間は食中毒などを起こす食べ物は語り継いで忘れないようにしてきた。それと同じように、生きるために、忘れてはいけないことがある。


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