2005年4月30日土曜日

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい1<出発>


2005年4月30日

登場する地:上野(東京都)、大津港(茨城県)、原ノ町(福島県)



その日は日課(というよりも”週”課だが)だったランニングをしてひと汗かいていたほどに、ごく普通に過ごしていた。16時を少し過ぎたところでまとめていた荷物を担ぎ、上野駅に向かった。

本州最東端、大平洋沿岸沿いをゆく東北への旅が始まった。当然、東京から茨城県に入り、海沿いを北上して東北へ入ることになる。ともかくもそのルートで行ってみることにした。

実は、仙台までならその日のうちに着くだろうという甘い観測を持っていた。大津港というところに着いたときにはすでにあたりは暗くなっていた。この時期、もう蛙が鳴くというのを知らなかった。

東北というのは想像以上に広大である。この日、16時に東京を出発して最終的にたどり着けたのは原ノ町駅、福島県の原町というところだった。この町には少し縁があり、訪れたのは二度目になる。大学生の頃、運転免許取得の短期合宿でお世話になった町だ。

真夜中ではあったが、駅から歩ける範囲なのでその原町中央自動車教習所まで行ってみた。あった。坂道発進をした傾斜やジグザグのクランクコースの練習をしていたことを思い出す。合宿所は”にしき旅館”という表札が出ていた。当時はなにも知らず、寝起きと食事と少しの遊戯(バドミントンなど)をしていただけで、免許取得以外なにも関心がなかったことを思い知らされ、自分を情けなく思ったが、大学生なんてそんなものなのかもしれない。

さて、今夜泊まるところはあるのだろうか。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい2<原町>


2005年4月30日

登場する地:原町(福島県)


運転免許合宿のときにたまに行っていたココスというファミレスを思い出し、行ってみた。しかし閉店は02:00。あと1時間くらいしかいれない。ほかにないかと見渡すと、別のファミレスのような看板を見つけたので行ってみる。その看板自体は別の店だったがガストというファミレスを見つけることが出来た。朝の5時まで営業している。今夜はここで夜露をしのがせてもらおう。


それにしても、光に誘われるのは虫だけではないのだなあ。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい3<松島>


2005年5月1日

登場する地:松島(宮城県)



田んぼには一面水が張られている。まだ苗さえ植えられていない。太陽が一直線に水面にぶつかり、電車の窓を叩く。

仙台で仙石線に乗り換え、ほどなくして日本三景のひとつ、松島へ到着した。

松島海岸駅で降りてみたが、海が近い土地の道は比較的分かりやすい。そう、海に向かって行けばいいのだから。まだ朝早いためお店もほとんど開いていない。さて松島まで来たもののどうすれば良いかわからない。とりあえず遊覧船に乗ってみた。1,400円もするのか。船に乗り、2階に上がる階段を見つけたが、係員らしき人が立ち塞がる。2階に上がるにはグリーン券600円が必要とのこと。

ウミネコへのエサが100円、陸に上がれば、お寺の拝観料、伊達政宗博物館、割高な海の幸、高級な牛タン、と何でもかんでも金がかかる。観光地だから当然ではあるが、清貧旅行者にとっては苦しい。遊覧船はその辺も気にかかりあまり楽しめなかった。

それと苦言をひとつ。船に寄ってくるウミネコが自分の手に持ったエサを食べてくれるのはかわいいかもしれないが、せっかく松島に来て船に乗っているのだから、少しは島々の風景を眺めよう。エサをくわえるウミネコばかり見て、カメラはウミネコを写してばかり。餌付けがなくなったらウミネコも観光業も死活問題かもしれないが、あまりに、ねえ。。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい4<松島>

2005年5月1日

登場する地:松島(宮城県)



遊覧船で少しげんなりしてしまい、上陸後はその辺をとぼとぼ歩き回っていた。そうしているうちに、小高い丘のようなところがあることを知り、ともかくも上ってみることにした。

それほど高いわけではないが、そこそこに松島湾を眺め下ろすことができる。ここからの眺めはお金は要らない。そもそも、自然が創り上げた松島湾はお金をかけて見るものではない、そう思う。ここには僕の望んだ本当の松島があった。

注釈をここではさむが、この当時の僕はお金をあまりかけず旅にゆくというコンセプトがあったので、どうしても倹約志向で考えてしまう。しかし観光業で成り立っている松島は多くの観光客を必要としている。2011年3月の津波でかなり被害を受けたので尚更だ。復興のためにもどうかたくさんの人に観光に訪れてほしいと思う。僕の旅日記はあくまで参考に、ということで、どうか美しい風光明媚な松島を、お金をかけれたらかけて、かけれなかったらそれはそれで、存分に楽しんでほしいと願う。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい5<石巻>


2005年4月30日

登場する地:石巻(宮城県)


松島を後にした僕は、仙石線に揺られて先へ進み、終着駅の石巻で降りてみた。

当時はもちろん津波など来ていないから、市内は平和そのもので、ある意味においては平和すぎているようにも見えた。割に閑散としていたのである。


ぶらぶらと散策してみたら、なにやら奇妙な建物がある。石ノ森萬画館というらしい。仮面ライダーなどで有名な石ノ森章太郎氏が石巻付近の出身で、氏の創り出したキャラクターが町のあちこちでポーズをつくり佇んでいた。まるで正義のヒーローが町を占拠したかのようだった。これらは町興しのために予算を投じたものかもしれない。ただ、少し狙いすぎた感があったかもしれない。鳥取県境港の”鬼太郎ロード”のようにはまだうまくいってはいないみたいだった。(但し、たまたま人がいないときに訪れただけかもしれない)

しかし、この町も震災の津波でやられてしまった。あのヒーローたちはどうしているのだろうか。ただ皮肉なことに震災後の今の方が、若いひとたちが復興という目標のもとに活気を取り戻しているような印象をニュースなどから垣間見る。ヒーローはきっとその人たち自身なのではないだろうか。

ファイト!そして僕も頑張ろう。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい6<女川>


2005年4月30日

登場する地:女川(宮城県)


往く当てがなくなった。太平洋に小さく突き出た岬のほうまで伸びた鉄道があったので乗ってみた。石巻線といって、ほんの5駅くらいしかない路線の終着駅は女川(おながわ)という駅だった。

今思えば、なぜ2駅だけの路線が生き残っているかが推測できる。女川原発があるからではないだろうか。しかし当時の僕はのほほんと訪れ、何にもないところだなあ、などと暢気にうろついていたのである(失礼!)。

誰だったか文学者の歌碑が少し興味をひくくらいで、どうにも持て余してしまった僕は次の列車で石巻に引き返してしまった。しかし、もうひとつ女川で興味をひいたものがあった。

駅のホームにある柱に意味深なラインが引いてあった。僕の腰か胸くらいの高さだったと思う。数十年前のチリ沖地震で押し寄せた津波の高さを示したものだった。海岸から駅までは、1㎞はないにしても数百メートルは離れている。そこまで海水が来たのかと驚き、しばしその場を離れられなかった。そしてまたこの地をあの東日本大震災の津波が襲った。その報を聞いて僕はあのホームの柱にあったラインを思い出さずにはいられなかった。入り江にある町の宿命とはいえ、やりきれないものだ。

またここを訪れよう、そう思う。その時はラインがひとつ増えているかもしれないが、でもそれはこの町がまたひとつ強くなった証拠となるのだ。そう、信じて。

女川コミュニティというサイトを見てみたら、なんだか活気があって盛り上がっているようです。それにしても"リアスの戦士 イーガー"って・・・面白い(笑)

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい7<太平洋岸>

2005年5月2日

登場する地:石巻(宮城県)、前谷地(宮城県)、気仙沼(宮城県)、盛(さかり:岩手県)


石巻では旅館"とちぎ"に泊まった。石巻になぜ"とちぎ"かなど気にもしなかった。きっと"とちぎ"さんが経営しているのだろう。

朝は遅かった。田舎のほうでは昼ほど列車は少ない。前谷地というところで2時間の接続待ちがあった。スピードを求められる社会にいてなんとも贅沢な時間の使い方だ。

その後気仙沼まで進み、ちゃっと下車してみた。駅周辺は面白そうなものはなかった。それもそのはず、気仙沼は海のほうがメインなのだ。それは6年後、震災後に訪れることによって知ることになる。ただしその時は健全な町の姿ではなかったが。

ともかくも気仙沼はすぐに後にして、盛(さかり)というJR終着駅まで行ってみた。今思うと震災のあったところをずっと北上していたんだなあとしみじみ想う。ところがその間のことはあまり覚えていない。盛のひとつ前に大船渡があり、気になっていたのだが結局行きも帰りも寄らなかった。いまだに少し後悔している。

盛からは第三セクターの三陸鉄道の乗ってさらに北上してみた。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい8<釜石>


2005年5月2日

登場する地:釜石(岩手県)


三陸鉄道が通る一帯の沿岸は「リアス式海岸」といい、ノコギリの刃のようにギザギザな形状をしている。そのせいかトンネルが多くならざるを得ない。海が見えたかと思うと、すぐにまた真夜中の砂嵐テレビのように暗くノイズだらけの景色になる。

岩手県釜石に着いた。ラグビーでよく聞く名前の町は古くから鉄工が有名で大きな町だ。最盛期の頃はいつだっただろう。日本の高度成長を支えた町のひとつであることは間違いない。

しかし時代が都市集中型になってくるに従い、日本の地方の各地で起こった問題は例外なく釜石でも起こった。若者は都市へ行き、地元では仕事も減り、町からどんどん人が減っていった。というのは僕の想像である。ただそのように想像しうるほどに駅周辺は寂しかった。

ここ、釜石に来たのは言うまでもない。本州最東端に近いからだ。近いと言っても4、50kmは離れているが、ともかくトドヶ崎というところが最東端である。ここで僕が考えた計画は次のようである。

・最東端なだけに、日の出をみよう。
・そんな早朝にバスもないだろうからレンタカーを借りよう。
・宿には泊まらず車中泊にしよう。
・夜のうちに最東端付近までいって車中泊しよう。

我ながら青臭い計画だ。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい9<浄土ヶ浜>


2005年5月2日

登場する地:浄土ヶ浜(岩手県)


トヨタレンタカーは全国展開している。釜石にもあり、縁があってそこで車を借りた。今回の相棒はカローラフィルダー。2年ぶりくらいの運転だったので港の広い空き地でしばし練習。OK、OK。緊張しながら国道へと流入し、宮古方面へ向かう。

幸い、国道はほとんど一直線でアクセルとブレーキさえあれば運転素人のような僕でもちゃんと宮古に辿り着ける。時間は21時になっていた。温泉を探して宮古市内をあれこれ走り回っているうちに、浄土ヶ浜というところに辿り着く。浄土ヶ浜パークホテルや観光のための遊歩道もあって車を停めるところ、つまり車中泊できそうなところもありそうだった。そして広々とした駐車場があったのでそこのほぼ真ん中に車を停めた。

初夏とはいえ、この時期の東北の夜はまだまだ寒い。シートを倒して眠ろうとしたが寒気がすごく、ありったけの服をかけて何とかうとうとした。と、しばらくしてどうも左手がおかしいことに気付く。寒い上に寝かたが悪くて血が止まったせいか指が動かなくなっていた。とっさに指先を噛んで血流を戻そうとした。ほとんど本能に近かったと思う。その甲斐あって指は元の動きを取り戻し、現在も普通に動いている。

今回の車中泊での反省点を挙げておこう。

・東北の夜の寒さを侮ってはいけない。
・広い場所は吹きっさらしになり、外気の影響をもろに食らうため、風の当たらない場所を選択したほうがよい。

そして、あっ、と気付いたのは車にエアコンが付いていることだった。暖房つければいいじゃない。あー、あったかい。まったくオマヌケな車中泊であった。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい10<浄土ヶ浜>


2005年5月3日

登場する地:浄土ヶ浜(岩手県)、トドヶ崎(岩手県)


眠りは浅い。空がまどろんだ頃、車の外に出た。冷気が全身を締め付ける。あまりの寒さに小走りして紛らした。

紛らすだけでは間に合わなくなった。間もなく日の出になる。僕は展望台に急いで走った。息を切らして展望台に着いたとき、丁度朝日が水面から顔を出した。間に合った。このために僕ははるばる旅をしてきたのだ、という感慨が湧く。

太陽がすっかり水面から切り離されてから、浜辺に降りて散策してみた。夜にはわからなかったが、浄土ヶ浜というところはすごく風光明媚なところだ。澄みきった空と海の深い青と赤松の林が絶妙なコントラストをなしている。海岸の浅瀬には至るところ小さな岩山が水面から生えていて、頂きには小さな松を飾り付け、荘厳さを加味している。

歩きながら僕は、なるほど、ここは浄土かもしれない、と思った。眩しい光が赤松の林を濡らし、水面から突き出た岩山たちを濡らし、その岩山に生えた小さな松を濡らし、空を、海を、僕の頬を、目を、足元の砂利を、すべてを濡らした。僕はきっと、幸せ者なのだろう。

いや、間違いなく幸せ者だ。

そう確信できるほどに、この日の朝のひとときは一生忘れられないものとなった。


旅日記-みちのく本州最東端に行きたい11<本州最東端>


2005年5月3日

登場する地:トドヶ崎(岩手県)


「トド」という字はなかなか難しい。魚偏に毛を書くのだが、変換ではほとんど出てこない。この旅日記ではカタカナ表記にしておく。本州最東端はこのトドヶ崎という、岩手県の太平洋岸にあり、大海に向かって斧の刃のように突き出た一角である。

浄土ヶ浜から車で行けば近いだろうと思っていたが、1時間以上かかってしまった。トドヶ崎は断崖絶壁の地で、山登りのようにジグザグと狭い道が続いたためでもある。やがて最東端までの入口があり、そこからは徒歩でいかねばならない。そしてこれまた長い時間、1時間ほども歩くことになった。本州最東端は遠い場所にあるのだと実感した。

ただ、道なりの景色はすばらしく、赤松の間から時おり見える青い海が疲れを吹き飛ばす。様々な鳥の声が聞こえ、波の音が聞こえ、気持ちも清々しくなっていった。そしてついに到着した。何度も言っているが、本州の最東端である。


立派な石碑が置いてある他は岩だらけで、荒々しい景色が広がっていた。できる限り海べりに近づく。立っている場所は断崖絶壁で、海面から何十メートルあるだろうか。柵なんてものはなく、天使になろうと思えば簡単になれそうだ。但し会場には巡視船のようなものが常時漂っていたが。

雲ひとつない快晴。本州最東端。太陽は真っ正面にたったひとつ。僕はずいぶん長い時間、岩に腰をおろして太陽と向かい合わせに海風を受けていた。今、本州の最も東の陸地にいるのは僕である。これは紛れもない事実であった。

誰にでも唯一の存在になれる。

このとき僕はそう悟ることができた。たとえどんな場所・状況であれ、真理というものは変わらない。だとすれば唯一無二は誰の中にも存在しうるのだ、と。

旅日記-みちのく本州最東端に行きたい12<終わり>


登場する地:一ノ関(岩手県)


本州最東端を訪れたことで今回の旅の目的は達成された。岩手は実に広大な土地であった。1時間程度と思う距離が2倍3倍とかかる。その代わり雄大な自然が多く残されていた。僕の考えでは、不便な方が実は愛されやすいというのがあるから、岩手もしくは東北全体が永く愛される土地であってほしいと願う。

無傷・無事故で無事レンタカーを返却した後、来た道を辿るようにして南下し、一気に一ノ関まで来た。ここが旅の最後の宿泊となる。しかし着いたのは真夜中。安いホテルをいくつか訪ねてみたがどこも満室だった。さて、どうするかと思案し、電話帳をくくってみるとファミリーレストランのガストを発見。前回の紀伊半島でもお世話になったが、今回もお世話になることにした。余談だが、もしガストが見つからなければ居酒屋の魚民あたりで夜を明かそうと思っていた。この頃の僕は、夜露をしのげればどこでも大丈夫な考えを持っていたためはたから見れば案外気楽なものだった。

翌朝5時にガストを出て東北本線をさらに南下。東京は相変わらず忙しく動いている。鳥の啼き声は車と電車の音にかき消される毎日。

岩手県浄土ヶ浜で朝日を見たとき、ウグイスの声が陽の光で明るむ赤松の林の中から聞こえてきた。深い地中から掘り出された透明で濁りのない鉱石のような声だった。