2001年7月9日月曜日

旅日記-天橋立に行きたい1

2001年7月9日

登場する地:熱海(静岡県)、浜松(静岡県)、豊橋(愛知県)、名古屋(愛知県)


2001年7月9日、12:00頃に家を出て、東海道本線を下る。
お金はあまりかけたくないので必然的にローカル線での旅だ。
熱海までは快速があり快適に進む。
熱海から浜松までは延々と各駅停車。
この熱海-浜松間が異様に長く感じる。
駅と駅の距離がまずもって長いため、一駅走るのに10分とか普通にかかる。
これぞローカルの旅!という感じ。

浜松から豊橋までは快速があるが、丁度なかったのでまた各駅停車。
豊橋からは快速にありつけたので快適に名古屋まで行けた。

しかし名古屋ではすでに22:00頃になってしまったので名古屋に泊まってみることにした。
といっても宿を取っていないし今更探そうとも思えず、どこかで適当に朝を迎えようと思った。
ぶらぶら夜の名古屋を散策した後、駅周辺をうろつく(怪しいなあ・・・)。
お浮浪者さんのように風の当たらないところで横になってみた。が、あまり眠れなかった。
ほとんど不眠のまま朝を迎えた。

旅日記-天橋立に行きたい2<福知山線>

2001年7月10日

登場する地:名古屋(愛知県)、亀山(三重県)、大阪(大阪府)、新三田(兵庫県)、福知山(京都府)、天橋立(京都府)

名古屋を始発で出たときは、すでに空は明るい。
ここから天橋立まで一気に行くのだが、その間の記録がない。
ノートでの記録があるのは矢印でつながれた一行だけだ。

5:57 名古屋→亀山→大阪→新三田→福知山→天橋立

しかしこう書き出してみると、新三田で乗り換えた記憶は確かにある。
ホーム上の新三田と書かれた駅名板が頭に浮かぶ。
でも残念ながらそのくらいで、あとはただ睡魔と闘いながら、時おり敗れながら、乗り継いだように思う。

この行程中、もうひとつ印象に残ったことがある。
舞鶴から舞鶴線で天橋立に向かってみていたのだが、途中で小さなトンネルをくぐった。
これから未知の場所へ行くんだなあ、とちょっと感慨深く縦長の丸い光を見た。
残念ながらこの旅では写真がないので、大分の湯布院あたりで撮ったものを載せてみた。

旅日記ー天橋立に行きたい3<天橋立>



2001年7月10日

登場する地:天橋立(京都府)

17:00がロープウェイの終了時間だったことを記憶している。
天橋立の全体を眺めるには、付近にある小高い丘の上に登るのが良い。
しかし到着した時間が遅すぎてロープウェイが終わってしまっていた。

天橋立は海流の流れなどによって土砂が寄り集まり、細長く形成された「砂州」と呼ばれる地形をなしている。湾を閉じる堤防のようにして海上に現れた細い土地の上に松がびっしりと生えている。

名前からして、きっと天に架かる橋に見えるに違いない! それを確かめるにはやはり高い所から見るのが一番いい。ということでロープウェイには頼らず自力で丘のてっぺんまで登ってみた。

すっかりひと気のない舗装路をずんずんと登る。まだ空は明るいがもう太陽の姿はない。風がざわざわと木々を揺らす。結構時間がかかる。一体いつになったら辿り着くのか・・・。心細くなってくる。

それでもいつかは辿り着くもの。ついにてっぺんに着いた。錆びたシャッターが降りた小さな売店がひっそり海の方を向いていた。

旅日記ー天橋立に行きたい4<天橋立>


2001年7月10日

登場する地:天橋立(京都府)

天橋立は日本三景のひとつ。
日本人であるからには日本三景ぐらい訪れておきたいと思っていた。

丘のてっぺんから見る天橋立はとても美しかった。自然の造形はどうしてこんなに人間の想像力を越えるのだろう。人間はいつも大自然の後を追いかけるばかりだ。

「股ぐらのぞき」なる石の台が近くに設置されていた。その台の上にあがって天橋立を背にして立ち、上体を前に倒して股から天橋立を見るのである。

たいしたものでもないだろうと高をくくりつつ、誰もいないことだし心置きなく股ぐらからのぞいてやってみた。

すると驚いてしまった。確かに、まるで天に架かる橋のように見えたのである。常緑の松林がまるで天に浮いているかのように見せている!誰もいないことをいいことに、しばらく妙な格好のまま天の橋に見入っていた。

写真は撮っていないので、ちょいと拝借して、さらに逆さにしてみたが、どうであろう。やはり本物を見たほうが良いかもしれない。写真だとまったく味気なく見える。

そして思い出した。天に架かる橋に見えた要因らしきこと。それは自力で丘を登ったからだ。結構しんどかっただけに、頭が幻覚を見るのに近い状態になっていたかもしれない。

旅日記ー天橋立に行きたい5<天橋立>


2001年7月10日

登場する地:天橋立(京都府)

上から見るだけではもちろん物足りない。細長い陸地にはちゃんと道が走っていて、向こう側へと渡ってみた。

記憶が定かではないが、対岸まで30分ほどかかったように思う。松原が続く道の両側は日に輝く海で、実にきれいな光景であった。日本三景ここにあり、といった貫禄であった。

ところが日が落ちてしまうと、昼間とは違う様相を見せる。外灯は所々にしかなく、途切れたところではかなりの闇に包まれる。黒い松の陰から落武者か何かが躍りかかってでもくるような気配を感じさせるほどに、夜の天橋立は人を遠ざける。

ただ、もしかしたら一見さんお断りの京都の風なのかもしれない。この土地に住む人にとっては昼でも夜でも絶えず心に優しく横たわる風景であるように想像する。

繰り返すようだが、この頃の旅では写真をは撮っていない。また訪れる機会があればその時は是非写真におさめてみたい。

写真を天橋立観光案内ページから拝借。

旅日記ー天橋立に行きたい6<天橋立>


2001年7月10日

登場する地:天橋立(京都府)


ところで、この頃の僕の旅では慢性的に資金が不足していた。よってこの日本を代表する景勝地を訪れた日、宿は取っていなかった。

周辺にはユースホステルもあったらしいのだが、なんだかんだで宿を取ることもなく野宿なんてものをしてみた。幸い駅の外にベンチがあり、うとうとと体を横たえることができた。

なかなかつらい思い出のようでもあるが、実はつらいほうが後でなんとも言えない発酵酒のような甘美な思い出になるから不思議だ。

旅日記ー天橋立に行きたい7<標準時子午線最北端>


2001年7月11日

登場する地:天橋立(京都府)、浅茂川温泉(京都府)、日本標準時子午線最北端(京都府)

せっかく遠いところまできたので、レンタカーでも借りてぐるりと回ってみた。小型車を一日借りたが、この日に、ある決定的な瞬間を迎えてしまうとはこのときはまだわからなかった。

車を借りても、実はどこを行こうかよくわかっていなかった。とりあえずパンフレットか何かを開きつつ海沿いをぶらぶらドライブしてみた。

けっこう暑い日だったので汗を流そうと、パンフレットで見つけた「浅茂川温泉」に寄ってみた。このときの温泉があまりにも気持ちよくて、旅には温泉が欠かせないものになってしまった。

浅茂川温泉ページより

これが決定的な瞬間ではない。ある意味これも小さな決定的瞬間だが、このあとまたドライブに出てから起こるのである。

海の崖沿いの道を進んでいると、ふと何かの看板が目に入り車を止めた。そこには「日本標準時子午線最北端」の文字があった。

車から降りて案内の通りに野道を辿ってみる。すると記念碑のようなものが立った場所に来た。その向こうには日本海の眺望が広がっている。このとき他に誰もいなく、当然僕は標準時子午線上の最北端にいる唯一人になった。

この瞬間、何かが頭の中で弾けたような変な高揚感があった。唯一の人になれることに価値を見いだした瞬間だった。このことが、僕を日本の各地へと体を運ぶ大きな動力になったといって良いかもしれない。

もちろんこのことがなくてもどこかへは赴いただろうが、少なくとも本州最端の4ヶ所を訪れるきっかけになったことだけは確かである。

旅は思いがけなく人の道を創ってしまうものである。


旅日記ー天橋立に行きたい8<舟屋>


2001年7月11日

登場する地:経ヶ岬灯台(京都府)、舟屋(京都府)、羽衣温泉(京都府)

このときの僕はまだ決定的な瞬間を迎えたとはつゆ知らず、のんびりと経ヶ岬を訪れたり、舟屋を眺めたりして時を過ごした。

中でも舟屋は印象的だった。なにしろ海の上に家が並んでいるのだから。そして家の下に船が用意されていて、床を開けばすとんとそのまま船に乗れてしまうかのような光景だ。

まさに海に住む人々の生活そのものといっていいだろう。これほど利にかなった住居構造はない。僕は津軽平野育ちだから、このような海の生活が如実に現れた光景を見るのが初めてだったから、実に好奇心を誘われた。世界遺産とはいかなくても、日本遺産のようなものをつくって認定したいと今思う。



そして温泉に味を占めた僕は、再び温泉「羽衣温泉」を訪れ、一日を終えたのであった。

旅日記ー天橋立に行きたい9<終わり>


2001年7月12日

登場する地:京都(京都府)

レンタカーで車中泊した明くる朝、帰り路に着いた。京都駅ではニシンソバを食べてみた。妙にごつごつした味だったように思い出される。

ともかくも、この天橋立の旅がこのあとの日本の旅への第一歩だったことをここに記して、天橋立への行き方を終えることにする。

次回は、どこだっけ・・・